いつか見た遠い日の夢

 

「彼」はそこに1人でいた。

遠い昔の約束をはたすために。

約束の相手はまだ現れない。真ッ白い、純白の雪だけがふりつもる。

何か音がしたような気がしてふりかえった。

そこには誰もいない。

「彼」が昔住んでいた町を見下ろす眺望が、静かに雪にくゆるだけ。

手袋はしているものの、すっかりかじかんだ両手にほうっと域をふきかける。

---------------待ち人は未だ来ず・・・・・・

 

「彼」は、自分の住む町をすっかり見下ろすことのできる丘がお気に入りだった。

緋色の枝垂れ桜が咲く頃になると、スケッチブックを持ってか良いつめたものだ。

桜を通して目の前に現れる四季の美しさを、何年も、何枚も描き続けていた。

「彼」のスケッチブックには、いつでも桜がいた。

 うれしいこと

 かなしいこと

全てを絵にぬり込めるように。

丁寧に、丁寧に。

 そしていつしか「彼」はスケッチブックの上に夢をも描くようになった。

---------------画家になりたい。

まわりから見れば、かなえ様のない無謀な夢であっただろう。しかし「彼」は真剣に考えていたのだ。

 けれど・・・・・・

「やっぱり、水の月をつかまえようとするようなことなのか・・・・・・?」

スケッチブックを抱えて小さく、力無くつぶやく。

今日、学校で進路指導があった。

『せっかくだから進学しなさい。そんな画家になるなんて夢・・・世の中そんなに甘くないのよ?選ばれた一人だけがなれるようなものなんだから。』

先生の声がくりかえしくりかえし耳をうつ。

 そんなことない、と大声で反論したかった。

けれど実際にできたのは顔をふせてうつむいた、ただそれだけのこと。

「・・・あきらめた方が・・・いいのか・・・・・・・?」

くしゃり、と進路志望の紙を握りしめる。

昨日までは迷いなく「美大」と書くつもりだった。なのに今の自分は迷ってる。

「お。シケた面してるなァ青少年。」

突如聞こえた男の声に驚いていると、腕の中からするりとスケッチブックを奪われた。

「返せッ・・・!」

とりかえそうと手をのばすが、なんなく躰をおさえつけられた。「男」はゆうゆうとスケッチブックのページをめくり始める。

「綺麗なもんじゃないか。

 この桜、お前の後ろのヤツだろう?」

スケッチブックの中では満開の枝垂れ桜も、実際にはまだ固い蕾をもっているだけだ。

「・・・・・・ああ。」

「こんなイイもの持ってるのに何を悩んでるんだか。

 お兄サンに話してみ。」

ふ、と「男」が「彼」の躰を解放した。改めて男の様子を観察してみる。

 普通の会社勤務のサラリーマンのようね、スーツに黒いコート。どこにでもいそうな感じなのに、どこか不思議な違和感。

 硬そうな黒髪があちこちに跳ねており、きれいな二重の双瞳はおもしろそうにすがめられている。

 なんとなく話してもいいかなと思った。

「彼」はとつとつと、今日学校であった事を語る。

「俺・・・あきらめた方がいいのか・・・・・・?」

話し終えてそう問うと、くしゃくしゃっと髪をかきまぜられた。くすりと上からふってくるやさしい微笑。

「確かに普通に進学した方が人生確実だ。

 でも、たった一度しかない人生なんだからさ。好きなことをした方がいいと思うぜ?

---------------俺も、好きなことしてる。」

「あんたは何をしてるんだ?」

「俺は---------------。」

風の音に「男」の声が消えた。もう一度聞きなおすが、「男」は不思議な笑みをうかべるばかり。そして・・・なにか思いついたようににィっと笑った。

「大丈夫。俺にはわかる。

 お前は世界的に有名な画家になって、超幸せな一生を送るッ!」

「はァ?」

「そんでもって美人な奥さんもらってあったかい家庭を築きあげ、さらに家は無ッ茶

 広くって・・・・・・」

「もういいよ、やめろって。んなうまくいくわけないだろ。」

「なんで?」

「なんでって・・・人生そんなうまくいくわけないだろ?!」

「でも・・・じゃあなんで学校のセンセが言うことは信じちゃうわけ?」

「・・・え・・・?」

「なんで失敗を仮定した未来は簡単に信じるのに、成功を仮定した未来は否定するんだ?」

---------------・・・あ・・・。

「どちらを選んでもいいのに、人間って不思議だ。」

「男」の限りなくやさしい双瞳が、じっと「彼」を見つめている。

「お前は、絵描くのやめたらダメだよ。

 ・・・モデル兼ファンの言うことは聞いておきなさい。」

モデル、というのがよくわからなかったけど、それに軽口で応じた。

「一度見ただけでもうファンか?

 俺の絵ってそんなにイイものかよ。」

「まァな。でも一度じゃないぜ?

 ずっと・・・ずっと昔から見てるよ。お前が絵を描き始めてからずっと・・・。」

「嘘だ!」

「嘘なもんか。

 お前よく泣きながら描いてたっけ。」

「なんで・・・なんで知ってるんだよ!?」

誰も知らないはずだった。人気がないからこそ「彼」は泣き場所としてこの桜のある丘を選んでいたのだ。こんな男がいたら絶対に気づく。

「その涙、止めてやりたくて花びらを落としてやったよ。」

 木の上にいたのか?・・・・・・違う、そんなんじゃない・・・・・・。

「---------------約束してくれ。

もし画家になれたら・・・もう一度俺を描いてくれ。

 俺に会いにきてくれ---------------・・・・。」

「お前、名前は・・・・・・?!」

---------------我は桜。

 桜に宿りし幽けき魂。」

風が、ふいた。

 桜色をした、花色の風が。

思わず目を閉じてしまう。そして再び目をあけたとき。

 そこに「男」の姿はなかった。

 

 

「俺・・・・・・画家になれたよ。

 まだまだかけ出しのひよっこだけど・・・・・・。」

ふわり、と小さな独白は雪の風にとけて消えた。

「お前との約束、守ったよ。」

ささやく先に、あのみごとな枝ぶりを誇る枝垂れ桜は・・・もうない。

---------------雪に埋もれるようにしてぽつん・・・と切り株が一つ。

「彼」がこの町を出て、美大を志してすぐに、枯れてしまったんだそうだ。

・・・自分が枯れてしまうことを知っていたからこそ・・・「男」は現れてくれたのだろうか。「彼」が夢をあきらめてしまわぬように。

「男」が現れることはもう二度とないと知っていながらも・・・「彼」はこから動くことができなかった。なんだか再び、いきなり背後から「しけた面してんじゃないって。頑張れよ青少年!」なんてのんきな声が聞こえてきそうで・・・・・・。せつなくてこの場から去ることができない。

 ぬいとめられてしまったかのようになっていた足を無理やり動かして切り株へと近よった。

 大きくて、丸い、丸い、年輪。

いったいどれだけの月日をここで、この丘から見下ろすことのできる町を見守り続けたのだろうか。

 手にしていた紙袋から一枚の絵を取り出した。

『桜』と名づけられたそれは「彼」が有名になるきっかけとなったものだ。

OLや女子高生を中心に大ブレイクした、ある服飾メーカーの春のポスターの原画である。

---------------優雅に、華美で・・・・・・ほんのりと朱に染まった白い花びらを惜しげもなく枝垂れ散らす枝垂れ桜と、それによりそうように立ちコートを着た社会人風の男。幻想的な桜と、現代風の男のミスマッチさがよけいに絵の中にただよう美に力を与えている。

 「彼」にとってこの絵は『桜』そのものだ。

絵の中でこちらにむかってひっそりと、やさしそうに微笑む「男」の姿。

 今はもう、いない。

「絵ェ描けって言ってたじゃねェか・・・・・。」

低くつぶやく。

とんッと切り株にその絵をたてかけた。

 この絵はあんたに捧げてやるよ。

---------------・・・・・ありがとう---------------・・・・・・

男の、低くて甘いささやきが聞こえたような気がした。

 ゆるく頭をふる。

そしてくるりと背をむけた。

もう、どんなに待っても、「男」は来ないのだ。

 こちらを手まねくように風にゆれる、あの美しい花を見ることはもうないのだ。

 「彼」にとっての桜は、それでしかないのだから。

己が絵の中でしか存在せぬ美しき桜と男。

 「彼」だけが、知っている。

「俺、フランスに行くことにした。

 もうここには帰ってこれないかもしれない。

---------------でも、行く。」

ゆっくりと。けれど着実に「彼」は自分の人生を歩み出す。

決してふりかえることはしないだろう。常に前を見つめて。

 絵の中の桜が過去をなつかしむかのように咲き誇る・・・・・

さわり、と。

今はもう失われてしまった桜の枝葉がゆれる音を、「彼」は幻のように知覚した。

 ふとなにげなく閉ざしたまぶたの裏で、「男」のやさしい笑顔がはじけて、消えた。

 

 ひらひらと。

「彼」に純白の雪を送ろう。

俺はもう、君の涙を止める術をもたないから。

今君に祝福の雪片を送ろう。

---------------花びらのかわりに雪よ降れ---------------・・・・・・

 

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